<< Race Music > R&B > Rock'n'Roll | main | 健康診断 >>
Alan Freed アランフリード

0
    Radicomi
    Radio-Net Communication "ラジコミ"
    77.7MHz FMやまと 毎週火曜日 夜7時〜1時間生放送


    BINGOのギリギリSTRIKE!!!
    + Alan Freed アランフリード +
    (1921年12月15日〜1965年1月20日)


    今日は、先週の続き。
    「R&B」を「Rock and Roll」と呼んで、
    黒人音楽を世に知らしめる役割を果たした人物の一人、
    白人DJアランフリードの話を・・・。


    高校生の頃、Jazzバンドを結成、トロンボーンを演奏。
    戦争中に耳を痛め、Jazzの道を諦める。
    大学生の頃、ラジオDJに興味を持ち、
    その後ラジオ局を転々としながらDJになるチャンスを待つ。
    1951年、30歳の頃、米中西部、オハイオ州クリーブランドの
    ラジオ局「WJW」に入社。念願のDJとなる。
    このときの担当はクラシック専門番組「レコード・ランデブー」。


    ある日、スポンサーのレコード店「レオマインツ」の
    オーナーのマインツに招かれる。
    そのレコード店の店内では黒人音楽の「R&B」が流れ、
    白人がノッていることに衝撃を受ける。
    マインツの勧めもありR&B専門番組を作る決心を固める。

    1951年7月11日、番組名を「レコードランデブー」から
    「The Moondog Rock'n'Roll House Party」に改変。
    自らをMoondogと名乗り、オンエアーする「R&B」を
    「Rock'n'Roll」と呼ぶようになる。

    この番組は深夜(11:15〜2:30)にもかかわらず
    次第に白人ティーンエイジャーたちのカリスマ的番組になっていく。


    翌年1952年、「The Moondog Coronation Ball」という
    ダンスパーティを開く。

    場所はアリーナ収容人数1万人できるクリーブランド最大の会場。
    チケットは前売りだけで1万8千人。
    噂が噂を呼び、当日にはチケットを買えなかった約1万人の若者が
    ゲート前に集まった。

    白人と黒人が入り混じってダンスを踊るという
    当時では異例の事態に加えて、
    ダンスパーティーに入れない連中によって
    暴動が起こることを恐れた警察当局は中止命令を出す事態に。

    警察当局の圧力に負けずその後も次々とダンスパーティを開催し
    大成功を収めていく。
    こうしたアラン・フリードの活躍はメディアを通して
    次第に全米に知れ渡っていく。

    1954年、WJWとの契約が満期となり、
    ニューヨークのラジオ局「WINS」へ。
    番組「Rock'n'Roll Show」(18:30〜21:00)は人気番組となり
    「WINS」自体が全米No.1のAM局と言われるように。


    この頃からロック映画にも出演するようになり
    ティーンエイジャーの人気を集めれば集めるほど
    黒人音楽を広めるアラン・フリードに対して
    南部の人種差別主義者(レイシスト)、政界、教育界などの
    保守派から圧力がかかるようになっていく。
    YouTube: Rock, Rock, Rock! - Trailer (1956)
    YouTube: Go, Jhonny, Go! (1959)

    1957年に放送開始された全国ネットTV局「ABC」の
    ロック番組「Alan Freed Show」の番組の途中で事件がおきる。
    黒人ミュージシャンのフランキー・ライモンが白人少女と一緒に
    ダンスを踊るシーンに南部の系列団体から激しく抗議を受ける。
    そして、番組は数週間のうちに中止に追い込まれてしまう。

    以降、全米各地のコンサートも地方警察の監視はさらに厳しくなり
    1958年のボストンのコンサートでは過剰警備の警察隊と
    観客の間で暴動が起きてしまう。

    これを地方当局はアラン・フリードが
    暴動を扇動したものとして告訴される。
    のちにこの告訴は退けられたものの「WINS」局は
    契約更新を見送ってしまう。
    「WINS」に見放され、同じニューヨークの「WABC」に移るが
    圧力はまだまだ続く。


    ペイオラ・スキャンダルを描いた映画「クイズショー」(1994年)では
    TVクイズ番組のヤラセを暴露する。
    その背景に見えるのは、マスメディアの作り出すものは
    まやかしだということ。

    1950年代当時、レコード会社からDJに対して
    オンエアーに対しての見返りとして
    賄賂(Payola)が送られることが半ば慣習のように行われていた。
    安い収入で不安定な職業のDJには「Payola」は良い収入源だった。

    そこに、公共の財産である電波を使って
    私服を肥やすことは違法であると
    1958年に「Payola」を規制する法律が制定される。

    1959年、アラン・フリードは「過去にいかなるレコード会社からも
    金品を受け取っていない」という「WABC」局からの
    誓約書にサインをしなかったために1960年に贈収賄で実刑を受ける。
    罰金$300が課せられ、6ヶ月の謹慎処分の末に解雇される。


    ニューヨークからロサンジェルス、マイアミの局を転々とし始める。
    かつてのような自由さは無く次第に自暴自棄に陥り
    アルコールに依存していく。
    借金は増え、自宅は差し押さえられ生活も不安定になっていく。

    1965年1月、尿毒症と肝硬変を患い43歳の若さで世を去る。
    1986年、Rock'n'Rollの殿堂 Non-Performer部門に選出される。


    [曲] Chuck Berry "Maybellene"

    ベスト・オブ・チャック・ベリー
    Chuck Berry: Best of Chuck Berry


    1957年7月リリースのデビュー曲でBillboard R&Bチャート1位を記録。
    曲の中で印象的なマラカスを振っているのは
    Bo Diddley Band の Jerome Green。

    1938年のBob Willisの「Ida Red」という
    カントリー&ウェスタンの曲を元にチャック・ベリーが作った曲。
    YouTube: Bob Wills & The Texas Playboys "Ida Red"

    共作者のクレジットには原曲の作者「DJ "Russ Frato"」のほかに
    白人向けの作詞アドバイスとしてアラン・フリードの名前がある。
    直接の現金ではなく、これも逃げ道として
    体のいいペイオラの一つと言われている。

    Chuck Berry "Maybellene"

    Bingo | Radi-Comi 2007 | 23:58 | comments(0) | trackbacks(1) | top▲
    - -
    Comments コメント
    Post A Comment コメントを送る









    Trackbacks トラックバック
    ■ Trackback URL この記事のトラックバックURL
    Aldon Music アルドン・ミュージック
    Radio-Net Communication \"ラジコミ\" 77.7MHz FMやまと 毎週火曜日 夜8時〜45分間生放送 BINGOのギリギリSTRIKE!!! + Aldon Music アルドン・ミュージック + 今日は68歳になるアメリカの女性シンガー・ソング・ライターの キャロル・キング
    | 南京豆売りの声がする | 2010/02/10 10:46 AM |
    The Peanut Vender Weblog

    南京豆売りの声がする

    Let's Have a Peanut!!!
    S M T W T F S
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    262728293031 
    << March 2017 >>