2008.06.10 Tuesday
The Shirells シュレルズ
Radio-Net Communication "ラジコミ" 77.7MHz FMやまと 毎週火曜日 夜7時〜1時間生放送 BINGOのギリギリSTRIKE!!! + The Shirells シュレルズ + 今日はシュレルズの中心人物、 シャーリー・オーウェンス(Shirley Owens) の誕生日(1941年6月10日)。 って事で、今夜はシュレルズの話しをちょっとね。 ずっと前に、このコーナーで少し触れたことがあるけれど。 シュレルズはのちのガールズ・ポップス・ブームの先駆け的存在。 グループはニュージャージーのハイスクールの クラスメイトたちで1958年に結成。 当時のグループ名は、スペイン語で小鳥を意味する ポケロス(The Poquellos)。 学校でのタレントコンテストに出ることになり、 勉強よりも衣装のことや歌うことに夢中になっていった彼女達。 当時のコーラスの主流のDoo-Wop とは違ったオリジナルな曲を 自分たちで数日の内に作りあげアカペラで披露。 拍手喝采のスタンディング・オベイションを勝ち取る。 それを観ていたのが、クラスメイトの Mary Jane Greenberg という女の子。 彼女の母親のフローレンス(Florence) が ティアラ・レコード(Tiara Records) という 小さなレコード会社を経営していてポケロスをスカウトする。 初めは気乗りのしない彼女達も、結局根負けして契約することに。 グループ名をシャーリーの名前をもじったThe Shirellsにあらため、 タレントコンテストで喝さいを浴びた自作の曲、 「アイ・メット・ヒム・オン・ア・サンデー(I Met Him On A Sunday)」を 1958年2月にリリース、ローカル・ヒットする。 版権をメジャー・レーベルのデッカ(Decca) に売り渡したことにより、 ビルボード(Billboard) Chart #49位まで食い込む。 フローレンスは引き続きマネージャーを務める。 デッカはのち2枚のシングルをリリースしたのち 翌年には契約を打ち切ってしまう。 フローレンスは版権を売った$4000を元に 新しいレーベルScepter Recordsを設立し シュレルズを再び呼び戻す。 ルーサー・ディクソン(Luther Dixon) をプロデューサーに迎え入れ 次々にヒットを連発するように。 ある日、Luther Dixonが持ってきたデモは キャロル・キングがピアノを弾きながら歌う 「ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・トゥモロー」。 The Shirells "Will You Still Love Me Tomorrow" Carole King "Will You Love Me Tomorrow" カントリー&ウェスタンっぽいと初めは気に入らなかったこの曲は、 ガールズ・グループ初めての全米チャート#1となり 皮肉にも彼女達の代表的な曲となる。 その後も、ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングなどの ソングライターチームからの 楽曲提供を受けてヒットを生み出していく。 シュレルズが作り上げたサウンド・スタイルは のちのガールズ・グループにも大きく影響を与えていく。 彼女達は他のガールズ・グループと同様に ブリティッシュ・インヴェンションの波に飲まれ 1960年代半ばには活躍の場を失っていく。 その波に真っ先に乗ってきたビートルズは、皮肉なことに、 デビューアルバムにシュレルズの曲を2曲もカバーしているほど 大きな影響を与えている。 The Shirells "Baby, It's You" YouTube: The Beatles "Baby It's You" YouTube: The Beatles "Boys" [曲] 1. The Shirells "I Met Him On A Sunday" The Shirelles Best Album: Will You Love Me Tomorrow 1曲目は、コンテストのために16歳の女の子が集まって作った曲。 のちのシュレルズのデビュー曲。 2. The Shirells "Long Day, Short Night" The Shirelles Album: Lost & Found 2曲目は地味ながら活動を続けていた1966年の曲で バート・バカラック&ハル・デイヴィッドの ソングライティングチームによる隠れた名曲、 「ロング・デイ、ショート・ナイト」。 当時はリリースされず1987年になって初めて 日の目を浴びたレアトラック。 逢えない日々は時間は長く感じて、 逢えた夜はあっという間に時間は過ぎる・・・ という切ない気持ちをうたったもの。 |