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Ritchie Valens リッチー・ヴァレンス

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    Radicomi
    Radio-Net Communication "ラジコミ"
    77.7MHz FMやまと 毎週火曜日 夜7時〜1時間生放送


    BINGOのギリギリSTRIKE!!!
    + Ritchie Valens リッチー・ヴァレンス +


    今日は、49年前の1959年、セカンド・シングルがチャートを
    駆け上っている真っ最中の飛行機事故で
    公式活動たったの8ヶ月、わずか17歳で短い生涯を終えた
    悲劇のロックン・ローラー、リッチー・バレンスの誕生日。


    1941年5月13日L.A.生まれ。
    本名、リチャード・スティーヴン・ヴァレンズエラ。
    (Richard Steven Valenzuela)
    メキシコ系アメリカ人。

    16歳の高校生の時、ハリウッドの小さなレコード会社Del-Fiの社長の
    ボブキーン(Bob Keane=のちのSurfin' & Hot Rodの火付け役) に
    認められ、17歳になったばかりの5月末に契約書を交わす。

    こうして、7月のある日の午後、
    自作の「カモン・レッツ・ゴー(Come On, Let's Go)」と
    カップリング曲「フレイムド(Framed)」を録音。
    数日のうちにリリースし、始めはローカル・ヒットだったものの
    8月にはナショナル・ヒットしていく。


    秋には音楽に専念するために高校を中退。
    その頃、同級生の恋人ドナに宛てたバラード「ドナ(Donna)」と
    カップリング曲「ラ・バンバ(La Bamba)」を録音。

    「ラ・バンバ」はもともとメキシコの民謡で、
    彼はそれをロックン・ロール調にアレンジ。
    一番の理解者であるはずのボブ・キーンに反対されたものの
    スペイン語で歌うことにこだわり反対を押し通した。

    2ndシングル「ドナ」は12月の中頃から少しずつチャートを登り始め、
    同時にカップリングの「ラ・バンバ」も注目され始め両A面となる。


    そんな人気絶頂の中、悲劇が突然襲ってくる。

    バディ・ホリー(Buddy Holly)、リッチー・ヴァレンス、
    ビッグ・ボッパー(Jiles Perry "The Big Bopper" Richardson)、
    ディオン&ベルモンツ(Dion and the Belmonts)、
    そしてFrankie Sardoの5組による
    アメリカ中西部24都市を回る3週間のツアー
    The Winter Dance Party」に参加していたときのこと。

    このツアーは、ほとんど休みの無い日程で、
    これはいろいろな意味でかなり過酷なものだった。

    移動に使われていたツアー・バスはエアコンが壊れ、
    バディ・ホリーのバンド・メンバーは凍傷にかかり
    バディ・ホリーからも不満がこぼれていた。

    2月2日は当初オフのはずが、なるべく日程を埋めたいという
    プロモーター側の都合により急きょライブが行われた。

    そのアイオワ州クリアレイクのThe Surf Ballroomでの
    ショウが終ったあと、バディ・ホリーは次の予定地まで
    チャーターしてあった小型飛行機に乗るため空港に向かう。

    この小型飛行機には当初はバディ・ホリーと
    そのバンド・メンバーが乗る予定だったが
    ツアー中にインフルエンザにかかったビッグ・ボッパーと
    コイントスの勝負に勝ったリッチー・ヴァレンスが
    バンド・メンバーに代わって乗ることに。

    リッチー・ヴァレンスはジュニア・ハイスクール時代、
    飛行機事故の残がいに当たって友人達を失った経験があり
    飛行機に乗ることが怖かったという。

    2月3日、夜中の午前1時、若いロックンローラーたちを乗せた
    ビーチクラフト・ボナンザ機は
    ミネソタ州ムーアヘッドに向けて飛び立った。

    しかし、そのわずか5分後に小型飛行機の灯は
    約8km離れたトウモロコシ畑の暗闇の中に消えていく。

    リッチー・ヴァレンス 17歳、バディ・ホリー 22歳、
    ビッグボッパーことジルズ・ペリー・リチャードソン 28歳。

    エディ・コクラン (Eddie Cochran)はこの3人の死を惜しんで
    Three Stars」という曲を作る。
    のちにDon McLeanの歌った「American Pie」の中では
    この日を「The Day The Music Died=ロックが死んだ日」と歌った。


    リッチー・ヴァレンスが歌った「ラ・バンバ」は、
    アメリカ国内での英語以外の初めてのヒット
    =ヒスパニックロックのパイオニアとなる。
    チャン・ロメロ (Chan Romero)などにも影響を与え、
    のちのラテン・ロックの出発点となる。

    1987年には彼の伝記映画「La Bamba」が公開されヒット。
    タイトル曲「La Bamba」はロス・ロボス(Los Lobos) にカバーされ
    大ヒットを記録する。

      Ritchie Valens "La Bamba"
      

      Los Lobos "La Bamba"
      


    [曲]

    1. Ritchie Valens "Come On, Let's Go"



    2. Ritchie Valens "Donna"



    1曲目は、リッチー・ヴァレンスの1stシングル (最高位42位)。
    2曲目は、2ndシングルで恋人のDonnaに贈ったロッカバラードの
    「ドナ」(最高位2位)。2曲続けて。


    Come On, Let's Go Ritchie Valens Best Album: Come On, Let's Go


    YouTube: Ritchie Valens "Come On, Let's Go"
    YouTube: Ritchie Valens Death From "La Bamba"
    YouTube: Ritchie Valens "Ooh My Head"(1959)

    Bingo | Radi-Comi 2008 | 22:58 | comments(0) | trackbacks(2) | top▲
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    | 南京豆売りの声がする | 2010/02/10 10:46 AM |
    The Big Bopper - Chantilly Lace
    バディ・ホリーに続いて、同じく没後60年の ビッグ・ボッパーが1958年のヒット曲させた 「シャンテリー・レース」です。 60年前の1959年2月3日、 リッチー・バレンスと共に同じ飛行機に乗り 墜落事故で3人とも命を失いました。 この曲の大ヒットから1
    | 南京豆売りの声がする | 2019/02/06 10:26 PM |
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